校訓・校歌、沿革

校訓・校章・校歌

校章と由来

富島高等学校の「富」にちなんで「ト」を三つ配置し、それに柏の葉をあしらったもので、昭和23年、当時の美術クラブ担当の教師と部員で考案された校章である。そのころの学生のあこがれの的であった旧制一高の校章「かしわ」にあやかりたいという願いで図案化されたと言われている。

校訓

校訓 平成6年1月13日 制定

「 自 立 」「 友 愛 」
  「 創 造 」 

人生の設計において、高校時代の影響は大きい。この時代に、生涯を前向きに見据える目を養いたいものである。
  己の個性を伸ばす自立の心を育て
  信頼と協調により友愛を深め
  心豊かな生活をめざして創造力を伸ばす
 この校訓を富島高校の精神的支柱とし、また生徒諸君の生涯を設計する指針として生かされたい。

校歌

下にある動画から音声を取り出したものです

一、大空に 光はみちて
  うなばらに 黒潮流る
  来りみよ 輝く学園
  われら若き 希望に燃えて
  ひたすらに 学び鍛ゆる
  富島 富島 われらが母校

二、清新の 風はめぐりて
  橘の 花は薫れり
  来りみよ 美し学園
  われら崇き 理想かゝげて
  相共に いそしみ励む
  富島 富島 われらが母校

三、胸にあり 青春の夢
  遙かなり われらがゆくて
  来りみよ 栄ある学園
  若きわれら はつらつとして
  母校の名誉 誓いてすゝむ
  富島 富島 われらが母校

作詞 高森 文夫  作曲 石黒 脩三

2,016年11月に撮影された映像です 426×240 13MB 

若人の歌

昭和25年4月    制定
昭和32年9月30日 準校歌として制定
作詞 松田 松雄 作曲 永友 端子

一 胸を張り真直にあげよ
若人の顔
青垣をなす 山々も
海を輝き渡る日も
我等が心 我等が理想
あゝ進む富島高校

二 手を握り声を揃えよ
若人の歌
苦しみの日も喜びも
共に分け合う友情に
残さぬ悔と結ぶ思い出
あゝ進む富


学校沿革

大正~昭和29年

  和  暦西暦年 出来事
大正5年3月31日     1916東臼杵郡立農業学校として設立認可
大正11年4月1日1922県移管、同時に宮崎県立富高農学校と改称
昭和4年4月1日1929宮崎県立富高実業学校に改称
昭和23年4月1日1948学制改革により宮崎県立富島高等学校となる。
元宮崎県立富高実業学校を母校として創立し、全日制課程(農業・家庭)、定時制課程(農業)及び併設中学校を置く。
昭和23年4月1日1948初代校長として、宮崎県立飫肥高等女学校長伊東祐重任命
昭和23年4月26日1948開校式挙行
昭和23年9月7日1948定時制中学校を夜間授業として入学式挙行
昭和23年12月10日1948定時制門川分校開校式挙行
昭和24年3月15日1949第1回卒業式挙行
昭和24年4月1日1949高等学校地域性実施、東臼杵郡南部9ヶ町村をもってその区域と定められる。
昭和24年4月14日1949地域制実施後初の入学式挙行(普通科・農業科・家庭科の3学科)
昭和24年12月25日1949門川分校専用校舎落成
昭和25年4月1日1950高等学校再編成、普通科、商業科、農業科、林業科、家庭科の5学科設置
昭和27年3月31日1952東校舎商業科教室1棟(281坪)落成
昭和27年4月1日1952商業科募集定員100名に増員
 1900宮崎県立日南高等学校教諭向高祐興本校校長に任命
昭和27年5月12日1952商業科東校舎に移転授業開始
昭和27年5月16日1952門川分校内に門川町立女子青年学級(家庭科)設置
昭和27年8月27日1952東校舎普通科教室1棟(275坪)落成
昭和28年4月1日1953普通科募集定員150名となる。定時制課程に商業科を置く。
昭和28年4月11日1953普通科1年東校舎に移転
昭和28年5月19日1953普通科2・3年東校舎に移転
昭和28年5月31日1953東校舎本館(140坪)落成
昭和29年2月28日1954東校舎前庭植樹造園

昭和30年代

和暦西暦年  出来事
昭和30年4月1日     1955宮崎県教育委員会指導課指導係長佐伯英雄本校校長に任命
昭和31年12月7日1956農林科全生徒(228名)新校舎に移転完了
昭和32年4月1日1957宮崎県立高千穂高等学校長菊池新二本校校長に任命
昭和34年1月26日1959講堂兼体育館落成(168.75坪)
昭和34年1月31日1959同落成式挙行
昭和35年9月20日1960図書館新設
昭和37年4月1日1962普通科定員増普通科200名、商業科100名、農業科40名、林業科40名、家庭科120名、定時制商業科50名
宮崎県立日南高等学校長平松輝夫本校校長に任命
昭和37年8月31日1962普通科教室(鉄筋コンクリート2階建)264坪新築
昭和38年4月1日1963定員増普通科330名、商業科110名、家庭科132名、定時制55名
昭和39年4月1日1964農業科・林業科が宮崎県立門川農業高等学校として分離独立

昭和40年代

和暦西暦年  出来事
昭和40年3月31日    1965プール完成、特別教室(理科)完成
昭和40年4月1日1965家政科176名に定員増
昭和40年4月1日1965宮崎県立本庄高等学校長藤本澄夫本校校長に任命
昭和42年3月31日1967格技場完成(170㎡)
昭和42年12月6日1967体育館ステージ完成
昭和43年3月31日1968国旗掲揚台1基42年度卒業生寄贈
昭和43年6月25日1968県立学校日向地区生徒寮(ブロック造2階建4棟)完成
定員男子64名女子60名
昭和44年2月20日1969校門新設43年度卒業生寄贈
昭和44年3月25日1969普通教室・特別教室(鉄筋コンクリート3階建422.75㎡)完成
昭和44年3月31日1969県立学校日向地区生徒寮増築(男子寮鉄骨造2階建1棟、図書及びレクリェーション室1棟)
昭和44年4月1日1969宮崎県立都城ろう学校長河野正臣本校校長に任命
昭和45年3月24日1970普通教室・特別教室(鉄筋コンクリート3階建408.5㎡)
昭和45年10月1日1970運動場整地
昭和46年3月31日1971商業科産振教室及び定通教室(鉄筋コンクリート2階建372㎡)完成
昭和46年4月1日1971宮崎県立高千穂高等学校長木村淳一郎本校校長に任命
昭和48年4月1日1973普通科1学級定員増で8学級となり、家政科1学級定員減で3学級となる。
昭和49年4月1日1974宮崎県立福島高等学校長井上駿作本校校長に任命

昭和50年代

和暦西暦年 出来事
昭和50年4月1日   1975普通科が宮崎県立日向高校として分離独立、商業科が2学級から5学級となる。
定員商業科225名・家政科120名・定時制40名
昭和52年3月31日1977管理棟(鉄筋コンクリート2階建742㎡)、電算機室(204.6㎡)
商業科・家政科特別教室(鉄筋コンクリート3階建1262.2㎡)完成
昭和52年4月1日1977最後の普通科3年が卒業し、商業科5学級、家政科3学級の職業高校となる。
昭和53年3月31日1978第2体育館(鉄筋コンクリート2階建延1861㎡)完成
昭和53年4月1日1978宮崎県立宮崎商業高等学校教頭中尾孝本校校長に任命
昭和54年10月15日1979第34回国民体育大会バスケットボール競技主会場となる。
 1900高松宮・同妃殿下ご来校
昭和56年4月1日1981宮崎県立盲学校校長吉田千郷本校校長に任命
昭和57年3月31日1982図書館棟(1645㎡)完成
昭和58年4月1日1983宮崎県立日南養護学校校長堀之内修本校校長に任命
昭和58年4月16日1983昭和58・59年度文部省指定生徒指導研究推進校となる。

昭和60年代

和暦西暦年 出来事
昭和60年1月16日  1985プール浄化槽設備完成  
昭和60年4月1日1985宮崎県立日向養護学校校長畠中通夫本校校長に任命
昭和62年4月1日1987昭和62・63年度県指定環境緑化教育推進モデル校となる。
昭和63年4月1日1988宮崎県立日向養護学校校長出先雄一本校校長に任命

平成元年~平成9年

和暦西暦年 出来事
平成元年1月9日    1989「牧水の森」完成記念式典
平成元年4月1日1989国際経済科新設
定員商業科230名、国際経済科92名、家政科82名、定時制商業科40名
平成元年5月7日1989創立40周年記念式典挙行「平成の庭」同窓会より寄贈
平成2年4月1日1990宮崎県立高千穂高校五ヶ瀬分校教頭粟江修一本校校長に任命
平成4年4月1日1992宮崎県教育委員会教職員課主幹荒川功本校校長に任命
平成4年4月1日1992家政科が2学級から1学級となる。
平成4年9月20日1992第1棟東側大規模改築
平成5年1月20日1993公共下水道工事完了
平成6年1月13日1994校訓制定(自立・友愛・創造)
平成7年4月1日1995宮崎県立佐土原高等学校教頭後藤俊一郎本校校長に任命
平成7年12月18日1995第1棟西側大規模改築
平成8年3月8日1996グランド全面改修
平成8年4月1日1996学科改編により家政科が生活情報科となる。
定員商業科200名、国際経済科80名、生活情報科40名、定時制商業科40名
平成8年5月31日1996弓道場完成(108.25㎡)
平成9年3月26日1997プール全面改修(169㎡)
平成9年3月26日1997生活情報総合実習室完成(150㎡)
平成9年4月1日1997宮崎県立宮崎北高等学校教頭熊野祥司本校校長に任命
平成9年4月1日1997学科改編により商業科5学級が3学級となり、会計科1学級、情報処理科1学級が増設される。
平成9年12月10日1997インターネット設置

平成10年代

和暦西暦年 出来事
平成10年4月1日     1998平成10・11年度文部省指定
「豊かな心を育む教育推進事業」実践研究協力校となる。
平成10年5月1日1998目指す生徒像
富高スリーエス制定(Specialty,Sense,Shine)
平成10年9月1日1998「創立50周年記念碑(再生)田中等氏作」同窓会より寄贈
平成10年11月29日1998創立50周年記念式典挙行・記念誌発行
平成10年12月1日1998創立50周年記念事業として2、3棟間に藤棚設置
平成12年4月1日2000宮崎県立小林商業高等学校校長福良眞本校校長に任命
平成12年4月1日2000学級減、商業科が3学級から2学級となる。
平成12年4月1日2000平成12・13年度県指定
「学力向上指導研究開発モデル事業(資格取得推進事業)」実践研究協力校となる。
平成13年4月1日2001平成13年度「宮崎県立学校評議員試行事業」の県指定校となる。
平成14年3月25日2002生徒寮改築全面完成
平成14年4月1日2002宮崎県教育委員会学校教育課主幹兼生徒指導係長楠田義光本校校長に任命
平成14年4月1日2002学級減、国際経済科が2学級から1学級となる。
平成14年4月1日2002平成14・15年度文部科学省
「豊かな体験活動推進事業」地域指定実践研究協力校となる。
平成14年7月1日2002国旗掲揚台完成
平成15年3月20日2003校訓・生活目標・学習目標掲示板完成
平成15年3月25日2003第1パソコン室電子計算組織導入(41台)
平成15年3月28日2003正面・西側ブロック塀改修(95m・45m)
平成15年3月28日2003グランド野球防球ネット完成(高さ14m・長さ365.7m)
平成16年3月6日2004正面ブロック塀改修(120m)
平成16年4月1日2004宮崎県教育委員会スポーツ振興課課長補佐丹生進一本校校長に任命
平成16年7月15日2004旧体育館解体
平成17年4月1日2005学級減、商業科が2学級から1学級となる。
平成18年2月7日2006バリアフリー工事完了(多目的トイレ・スロープ)
平成18年2月24日2006西側フェンス改修(75m)
平成18年12月14日2006野球防球ネット改修(高さ20m・長さ72m)
平成19年3月29日2007東側駐車場舗装(約600㎡)
平成19年4月1日2007情報処理科を経営情報科に改称
平成19年4月1日2007宮崎県教育委員会教育研修センター企画・調査課長近藤宏本校校長に任命

平成20年代

和暦西暦年 出来事
平成20年11月7日   2008体育館大規模改修
平成21年4月1日2009宮崎県立宮崎北高等学校教頭松本俊二本校校長に任命
平成22年11月6日2010第2棟床改修
平成23年3月16日2011渡り廊下改修
平成23年4月1日2011宮崎県立日南振徳商業高等学校校長中島悟本校校長に任命
平成24年4月10日2012第65回入学式より全日制・定時制合同の入学式を挙行する。
平成25年4月1日2013宮崎県立日南振徳高等学校教頭外山景嗣本校校長に任命
平成27年4月1日2015宮崎県立高鍋高等学校副校長大山江里子本校校長に任命
平成28年11月12日2016創立100周年記念式典挙行・記念誌発行
平成29年4月1日2017宮﨑県立都城商業高等学校教頭馬場隆本校校長に任命
平成29年4月1日2017学科改編により生活情報科が生活文化科となる。